日本の音楽大学について

日本には、現在音楽大学という名称で呼ばれている大学は、国公立では一つもありませんが、音楽学部を有している大学は国立の東京芸術大学および公立大学が3大学あるのみです。

音楽に関することを学べるという点では、教育学部の中に音楽教員養成課程を置いている大学とか教育系大学でありながら、実質音楽家を目指す学生のために教員免許を取らなくてもよいとしている大学も数校あるようですが、そもそも音楽大学や音楽学部を名乗る以上は、演奏家や指揮者または作曲家を目指すものを育てると考えるのが妥当でしょう。

その意味でいうと、国公立大学はそのような芸術家を育てる気はあまりなかったといえるでしょう。

ヨーロッパとは伝統的に意識が違うといえば、それっきりですが学校教育自体が始まった時期が明治期ですから、その時期には富国強兵や国を建設する上で役立つ技術者や研究者を育てることが優先したのでしょう。

音楽に携わる者を河原乞食のように卑下したというのは言い過ぎかもしれませんが、そこまで余裕がなかったのでしょう。

音楽教育にしても中央集権的に国が教育を管理するという視点から唱歌をつくり国家に目を向けるような統一的な教育をしていたことは事実で、音楽の専門教育をしていた東京音楽学校も官立ということで当然そのような意識化で運営されていたことは間違いがありません。

音楽についての政策もせいぜい鹿鳴館で、先進国の仲間入りをしたように外見を取り繕っていただけで、その分野で日本がトップになろうというような意識は皆無です。

そのような中にあって、私立の大学で音楽大学という名称の大学は、40校程度ありますがこちらの方がそのような芸術家を育てようという意識が創立当時からあったのでしょう。

私の娘もその中の一つの武蔵野音楽大学に通いました。

→武蔵野音楽大学 学園祭

現在は主婦をしており、音楽に関して何らかの活動をしているわけではありませんが、音楽を学ばせるということはいわば特権階級のように思われているのか、やたらにお金がかかりました。

音楽大学に行こうとするようなこどもは、通常小さい時からピアノを基本としてレッスンを始めています。

都市部に住んでいる人はともかくも私のように地方在住の者は、それなりの技量を持っている先生に習わせるために、近県の先生のもとに通わせるために、多額の交通費を娘が小学校低学年の頃からつかいました。

当然レッスン料は半端ではありません。

その上演奏会の時の衣装代も決して安くはありませんでした。

耳の肥やしにするため有名な演奏家のコンサートはほとんどいきましたが、そのチケット代も馬鹿になりませんでした。

このような思いを高校までした後、国公立は共通一次という余計な勉強をする必要があり、そこまで手が回らないので泣く泣く私立に絞って受験させましたが、本当にしんどい思いをしました。

これで、娘が一流の演奏家になればめでたしという所だったのですが、そのような域に達するのは一握りの人だけで、才能がない者はそれなりの職に就ければ御の字で、私の娘は近所の音楽教室の講師になりました。

現在は専業主婦ですが、ゆくゆくはピアノ講師としてがんばる意向のようです。